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カツ丼(敦賀ヨーロッパ軒中央店) [ご飯もの]

前にも書いたように、私は滋賀県蒲生郡日野町の出身であり、亡父の家も母の家も、共に少なくとも江戸時代初期の頃から代々日野に住んできた。ただ、父方の祖父母一家は、10年ちょっと、福井県敦賀市で暮らしていたことがある。貿易事業に失敗した祖父は、戦前東京で製パン修行をした。その後、開業するに当たって、洋食に慣れている海軍軍人が多く住む港町・敦賀を選んだのである。祖父母は、1934年に、長男を連れて敦賀市富貴町(現在の相生町)に移住、そこで冨士家パンを開業した。その1年後に生まれたのが、私の父である。従って、私の父は敦賀市出身ということになるわけである。その後、太平洋戦争が始まり、小麦が入手できなくなってパン屋を休業、さらに1945年7月の敦賀大空襲で焼け出されて、祖父母一家は、郷里・日野の本宅に帰ってきたのだが、父たちが敦賀に住んでいた1939年、その自宅のすぐ近くに開業した洋食屋が「敦賀ヨーロッパ軒」である。そんなわけだから、父たちにはなじみの店だったようで、私が子どもの頃、毎年の夏休みに、敦賀・松原海水浴場へ泳ぎに行った帰りには、必ずこの「敦賀ヨーロッパ軒」の支店で夕食をとるのが常であった。それから30余年、仕事で敦賀に通うようになったので、「敦賀ヨーロッパ軒」を再訪した。「敦賀ヨーロッパ軒」は、福井市の「ヨーロッパ軒総本店」からのれん分けされてできたお店である。この福井市の「ヨーロッパ軒総本店」は、もともと東京の早稲田にあったお店が、関東大震災で被災し郷里へ帰って再建されたものだが、日本におけるソースカツ丼発祥の店として知られている。「敦賀ヨーロッパ軒」でも、その伝統を受け継ぎ、現在も「カツ丼(ソースカツ丼)」が看板メニューとなっているのだが、この「カツ丼」、最近あちこちの自治体が町おこしで売り出しているソースカツ丼とは異なり、キャベツが入っていない。しかも、柔らかいロースカツが3枚も乗っていて、フタが浮いている感じである。ソースは比較的サラっとした辛めの味であり、最後まで飽きずに食べやすい。なんとも絶妙な味で、美味しいことこの上ないが、ただひとつの難点は、ご飯の量も多く、女性にはちょっと厳しいかもと思われることであろう。ところで、この「敦賀ヨーロッパ軒(敦賀市民の間では『パ軒』と呼ばれ愛されている)」の「カツ丼」を食するに際しては、ひとつ奇妙な作法がある。それは、配膳されると、まず丼のフタを裏返しに置いて、そこへカツを全部下ろしてしまうのである。そうして、そのカツをおかずのようにして丼のご飯を食べる。なぜそうするのか、理由はよくわからないが、地元の人は、男性も女性も、必ずそうして食べることになっているそうである。私も、このお店で「カツ丼」を食べる時は、地元民のふりをして、この作法にならっている。

 所在地 敦賀市中央町2-1004 (敦賀市役所隣)
 最寄駅 JR北陸本線敦賀駅

敦賀ヨーロッパ軒中央店「カツ丼」.JPG

日野町産近江鹿カレー(カレーハウスCoCo壱番屋近江八幡サウスモール店) [カレー]

私の郷里、滋賀県蒲生郡日野町では、以前からシカやサルによる獣害に悩まされている。鈴鹿山脈で食物連鎖の頂点にいたキツネが伝染病で激減したため、シカが増加して植物を食い荒らし、それに追われてサルが山から下りてきて、農作物を荒らすのであるが、最近は、シカのえささえ不足して、シカが人里近くまで下りてくるようになった。深夜になると市街地のすぐそばまでやってきて道路に飛び出してくるため、自動車と衝突する事故もあとをたたない。この話を聞いて、「シカがかわいそう」などと思ってはいけない。なぜならば、シカは大きく重いため、シカとまともにぶつかったら、自動車はほとんどの場合、エンジンルームやフロントガラスが全壊し、走行不能になる。軽自動車であれば衝撃ではね飛ばされることもあり、道路下に転落して運転者が死亡したケースもあったぐらいだ。私も、2年ほど前、飛び出して来たシカに右フロント・フェンダーの側面から衝突されたことがある。幸い、フレームとバンパーがやや歪み、ヘッドライトの光軸がずれたぐらいで済んだが、凄まじい衝撃であった。シカの方は、しばらく転がっていたが、そのうちに起き上がって、山の中へ走り去ってしまった。さて、このような獣害を防ごうと、地元の猟友会では、猟期になると、総出で駆除に取り組むわけだが、なかなか追いつかないのが現状だ。また、駆除した獣肉も、処理が難しいため、流通ルートが確立されておらず、やむなく埋却処理されることも多いとか。その話を聞いて、滋賀県内に店舗を有するCoCo壱番屋のフランチャイズ企業、株式会社アドバンスが、日野町猟友会と協力し、同会副会長の島村哲生さんが運営する獣肉処理施設「獣美恵堂(ジビエドウ)」で合法的に処理された鹿肉を活用して、「日野町産近江鹿カレー」を開発された。チェーン本社である株式会社壱番屋を説得して、滋賀県内3店舗(近江八幡サウスモール店、東近江五個荘店、EAPASA多賀店)で、2010年5月から(EXPASA多賀店は6月から)試験的に提供されている。当初は8月末までの予定であったが、取り組みを評価する声が多かったため、11月末まで期間延長された。「獣美恵堂」で最適な処理をされたシカのもも肉を、圧力鍋で時間をかけて調理されており、臭みもなくとても柔らかに仕上がっている。食感は、やや硬めの牛肉といったところか。非常に美味しくヘルシーなので、獣害駆除を応援するという意味も含めて、ぜひ近隣の方は食してみてほしい。(EXPASA多賀店、高島安曇川店を除く株式会社アドバンス系列全店舗で提供中)

  所在地 近江八幡市上田町1278-3近江八幡サウスモール内
  最寄駅 JR東海道本線・近江鉄道八日市線近江八幡駅

CoCo壱番屋近江八幡サウスモール店「日野町産近江鹿カレー」2.JPG

サトウのメンチカツ(サトウ食品吉祥寺店) [総菜]

以前、このブログで吉祥寺サトウの肉団子を紹介した。その時、「行列に並ぶことが嫌い」なのでメンチカツではなく、専ら肉団子を買うと書いた。今でも行列嫌いは全く変わらないのだが、先日、午後には台風がやって来るという日の午前中、風雨が徐々に強くなる中を別件で吉祥寺へ行った際、たまたまサトウの前を通りかかると、なんと行列が短い。さすがに平日午前で台風が来るという状況では、メンチカツを買うために行列する酔狂な客も少ないとみえる。そこで、用事を済ませたあと、サトウに寄ってみた。相変わらず、行列は6~7人程度。「これは」と思って並んでみると、わずか10分足らずで順番が回ってきた。そこで、メンチカツを「初めて」購入。一緒に行った妻は、三鷹生まれの三鷹育ちで、もう数十年間吉祥寺を遊び場にしているが、妻も今まで行列に怖じ気づいて購入したことはないと言う。持ち帰ると、やはり今まで食べたことのない義兄が、我慢しきれずに(笑)かぶりついて、「なんだ、これは!今まで食べたメンチカツとは全然違う!」と叫んだ。私も食べてみたが、噛みしめると甘さがにじみ出る肉団子とはまた違い、カリッと揚げた衣の中のメンチは、ふんわりしていて、甘い肉汁があふれ出てくる。味付けは絶妙な塩味で、あっさりしており、松阪牛の甘みが際立つ。これで1個180円(5個以上買うと140円)は、なんとも安い。行列ができるには、やはり訳があるのである。
  所在地 武蔵野市吉祥寺本町1-1-8
  最寄駅 JR中央線吉祥寺駅
サトウメンチカツ.jpg

スープ入焼きそば [ラーメン]

私の知人に、佐々木彦兵衛という人がいる。この人は、江戸時代から続く裏千家出入りの数少ない茶釜職人で、京都三条柳馬場で恵宝堂というお店を営んでおられる。最近では、イギリスの大英博物館から招かれて、日本の御釜師として初めて講演をするなど、ワールドワイドに活躍されている方でもある。実は、私はある民放プロデューサーから紹介されて、この人のウェブ・サイトの制作を請け負ったのであるが、この佐々木彦兵衛氏、天皇家から拝領して代々受け継いでいる名前を「釜彦」と言い、その六代目にあたる。そこで、「釜彦」でインターネット検索を行なうと、上位にずらっと並ぶのが、栃木県那須塩原温泉にある「釜彦食堂」なのである。ウェブの構築作業をしている時は、「まったく邪魔だなあ」と迷惑に思っていたものである。この食堂、名物は「スープ入焼きそば」であり、記事を読んだだけでは「なんじゃ、それ?」という感じであったが、比較的最近のグルメ雑誌「dancyu」に採り上げられ、さらに某テレビ番組で、商売敵の「こばや」が登場するに至って、俄然興味が湧いてきた。といっても、なかなか、那須塩原まで行くのは容易ではない。雑誌によると、ここの「スープ入焼きそば」は、もう50年も前に、まだラップが開発されていなかったため、出前の時に焼きそばについていたスープがこぼれてどうしようもなかったことがきっかけで、それじゃあ、一緒にしてしまえ、ということでできたとか。比較的あっさり目の焼きそばを、醤油ラーメンのスープに入れたもの、ということなので、とりあえず、うちで作ってみた(正確に言うと、妻に作ってもらった)。市販の焼きそばを具材とともに炒め、あっさり味のオタフク焼きそばソースで味付けし、市販の醤油ラーメンのスープに入れてみたのである。家族はみんなキワモノ扱いだったので、私だけ食べてみたのだが、これがなかなかいけるのである。ラーメンのようであり、かと言ってラーメンではなし。ソース味が生きた美味しいラーメンといった感じであった。自宅で、適当に作ってみたものでもそうなので、本場の釜彦食堂のそれは、さぞ美味しいのだろうと思った。休日には長蛇の行列ができることもあると言う。さもありなん、と思う。
スープ入焼きそば.JPG

日野饂飩 [蕎麦・饂飩]

私の出身地は、滋賀県蒲生郡日野町という、鈴鹿山脈の西麓に位置する人口2万3千人の町である。戦国武将・蒲生氏郷の出身地であり、近江商人のひとつ、日野商人の故郷でもある。1889年の町村制施行の際、滋賀県でわずか6つしかなかった町のひとつで、古くから栄えた町であった。この町の特産物は、既に廃れたものも含め、日野椀・日野塗、日野鉄炮、製薬、日野菜、近江牛、近江米などが挙げられるが、現在では日野の人にもすっかり忘れられてしまった特産物がある。それが「日野饂飩」である。日野饂飩は、古い記録によると、少なくとも江戸時代の初期頃には有名であったようであり、江戸時代中期の俳人・松江重頼が編纂した俳諧の参考書「毛吹草巻第四」には、近江の名物として、「日野 饂飩 鞍 鐵炮 五器」と記されている。また、四大茶会記のひとつ、奈良の漆屋、松屋久政・久好・久重の三代が、室町時代末期から江戸時代初期の約120年間に書き綴った茶会記「松屋会記」でも、元和8年12月4日昼の項に、大和郡山藩奥平金弥家の茶会で、「ヒノウトン(日野饂飩) 又 ソハキリ(蕎麦切り)」が供されたと記されている。これらから判断すると、日野饂飩というのは、「日野で供された饂飩」と言うよりは、「日野産の小麦を使った饂飩」又は「日野風の饂飩」であったと思われる。私は、昨年、たまたま調べ物をしていて日野饂飩の存在を知ったが、日野町の人達は、古老も含めて、その存在を全く知らなかった。まさに忘れられた存在であった。この日野饂飩が、どのようなものであったのか、現時点では全く資料がない。ただ、饂飩の歴史から考えると、当時はまだ「かけ(ぶっかけ)うどん」が考案されておらず、また醤油も存在しなかったことから、恐らくは「煮貫」か「垂味噌」をつけ汁として食していたのだろうと思われる。「煮貫」とは、味噌に水を加えてもみほぐしたものを袋に入れ、その垂れ汁に鰹節を入れて煮てこしたもの、「垂味噌」とは、味噌に水を入れて煮詰めたものを袋に入れて垂れ出た汁を言う。ここまでわかったので、自宅で作ってみた。確かに、現在のざるうどんの洗練された味から見ると、美味しいとは言えないが、素朴な味があって、これはこれでよいものである。なんとか、故郷・日野の新名物になるとよいのだが。
日野饂飩2.JPG

チキンカレー60倍(印度屋) [カレー]

吉祥寺の伊勢丹百貨店新館地下に不思議なカレー屋がある。何が不思議か、と言うと、伊勢丹地下の飲食店街にあるにもかかわらず、夕方5時にならないと開店しないということが不思議なのである。1日の営業時間はわずかに4時間。以前は、もっと長く営業していたそうだが、マスターが他の活動に忙しいということもあって、最近はずっと午後5時開店である。で、このお店、実はその筋では超有名店である。「その筋」とは「激辛マニア筋」のこと。このお店は、「激辛王」と呼ばれる人たちが、トレーニングのために訪れるという、いわば「激辛ブーム」の火付け役のようなお店なのである。通常は、全く辛味のない0倍から60倍まで選べるわけだが、この60倍が凄まじい。私のような激辛好きでさえも、食した20分後ぐらいに、強烈な貧血症状に襲われ、冷や汗ダラダラ、目の前真っ暗、という状態になる。もちろん、このお店に初めて訪れ、いきなり60倍を注文しようものなら、マスターが、百万言並べて押しとどめようとする。ご自身でも40倍までしか食べないとか、どんなに激辛、バカ辛好きでも、60倍は無理だとか。私が最初に訪問した時もそうだった。しかし、私は、「今日は60倍を食べに来たんです。」と言って、絶対に譲らなかった。マスターは遂に折れて、「お客さん、しようがないねえ。最初から60倍しか食べないっていう顔をしているんだもの。」と言って、60倍を作ってくれた。当然、あっという間に完食。それを見ていたマスターが、「今まで、テレビの激辛王とかが何人も来たけれど、お客さんは、間違いなく5本の指に入るね。普通は絶対にそのスピードで食べられないよ。いやあ、大したもんだ。テレビのチャレンジ番組とかに出場しても、少なくとも予選は必ず通るよ。あと優勝まで行けるかどうかは、当日の体調によるからわかんないけどね。」と言われた。が、そういう話を聞いているうちに、だんだん、周囲の音が聞こえなくなり、店を出る頃には、完全な貧血状態に陥っていたのである。こんなことは、初めての経験だったが、幸い、マスターには醜態を見られなかったようだ。

 所在地 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-16 吉祥寺伊勢丹エフエフ館B1F
 最寄駅 JR中央線吉祥寺駅北口

印度屋「チキンカレー60倍」2.jpg

立喰いそば(さとう) [蕎麦・饂飩]

私はそば好きである。妻の実家の本家(ああややこしい!)が、長野県大町市の老舗のそば粉屋(倉科製粉所)ということもあり、そば粉を取り寄せて、そば打ちをやったりもする。好きなそばは、田舎系の生粉打ちの太いそばそばであるが、一方、いかにも安っぽい立喰いそばも、実は大好きだったりする。旅先や仕事先の駅で、慌ただしくすすりこむそばが、なんとも美味しい。かつて、美味しいと思った立喰いそばは、ある2月の夜、夜行列車で到着した吹雪の青森駅のホームで、青函連絡船に乗り込む前にすすりこんだ立喰いそば。米原駅のホームで買い、列車に持ち込んで食べた使い捨て丼のそば。乗り継ぎの合間に食べた、西武所沢駅1番線の立喰いそば。味がどう、と言うより、むしろそのシチュエーションで、強烈な記憶として残っている。そんなこともあり、本格のそばから見れば邪道かもしれないが、私は立喰いそばが好きなのである。最近気に入っているのは、自宅近くのJR中央線三鷹駅北口ロータリーに面してある、「立喰いそば さとう」の天ぷらそば。と言っても、屋号がどこかに書いてあるわけではなく、たまたまカウンター近くのレジ横にある伝票差しに突き刺してある納品伝票の宛名をのぞき見て、やっと屋号を知ることができたぐらいで、ここでそばをたぐる客のほとんどは、「さとう」という屋号を知らないと確信している。ここの天ぷらそばは、340円。近畿圏に数多く出店している「都そば」の天ぷらそば290円と比べると少し高いが、これは「都そば」が安すぎると言うべきであって、「さとう」の天ぷらそばが安いことには違いない。で、種のかき揚げ天ぷらは、目の前の中華鍋で揚げている完全自家製。玉葱主体で(と言うかほとんど玉葱だけで)、大きさも形も、とにかくまちまちな、言ってみれば「いい加減」なものであるが、この天ぷらそばが、なんとも言えず美味い。上述の納品伝票ののぞき見で、かけ汁は1缶6,900円の「つゆの素(喜多口)」使用、そばはむらめん(株)の1玉190g37円(変動)の「茹でそば」だとわかっているが、それがなんとも美味しいのである。三鷹駅構内には、かつては「かいじ」、その後つい最近までは「小竹林」というJR直営系の立ち喰いそば屋があって、いずれもそれなりに美味しかったのだが、結局は構外の「さとう」に負けたようで、ついに(株)日本レストランエンタプライズの「彩花庵」に変わった。平日は終電頃(午前1時30分!)までやっている「さとう」は、本当に有り難い。

 所在地 東京都武蔵野市中町1-14-1
 最寄駅 JR中央線三鷹駅北口ロータリー
       TEL 0422-51-5964

立喰いそばさとう「天ぷらそば」2.jpg

スープカレー納豆 [総菜]

「スープカレー納豆?なんじゃ、それ?」と思われるかも知れない。私もそう思った。たまたま、スーパーの北海道展で見つけ、カレー・マニアとして看過することができずに購入したのである。どう見ても「キワモノ」だが、あのココイチの人気メニューに「納豆カレー」があることを思い出し、物は試しと買ってみたのである。いったいどういうものかというと、要するに、普通の納豆に、カレー味のタレがついているだけである。で、変人を見るような目で見る妻を横目に、食べてみた。なんと「旨い!」。スープカレーというよりは、カレーソースのかかった納豆と言った方がよいとは思うが、とにかく、コクがあって、納豆とよくなじんで、しかも納豆のクサ味が完全にカバーされて、美味しいのである。これなら、納豆嫌いの子どもでも喜んで食べるんじゃないかと思うほどである。そこで、妻に、「だまされたと思って食べてみろ。」と奨めてみた。そもそも妻は、東京生まれの東京育ちのくせに、納豆嫌い。根っからの関西人(!)の私と結婚して、初めて納豆を少し食べるようになったが、敢えて食べたいとは思わない人間だ。当然、「えーっ!」と嫌がったが、かなり強引に食べさせた。と、「これは美味しい。」と言うではないか。そこで、インターネットで検索してみると、楽天市場で取り寄せられることが判明。早速、小樽から取り寄せたところ、これまた納豆嫌いの義母までが、美味しいと言って、自分から積極的に食べるではないか。しかも、「大豆はガンの予防になる」などと能書きまで言いながら、さっさと食べる。これは本物だ。ぜひ皆さんも、だまされたと思って食べてみてほしい。納豆の世界が、いかに奥深いか、よくわかると思う。因みに、この納豆店は、いろいろとタレを工夫したり、選り抜きの大豆を使ったりして、何種類もの納豆を販売しているが、いずれも、美味しいこと、請け合いである。

 小樽坂田納豆本舗楽天市場店 (楽天市場での取り扱いは2008年9月に終了となりました。)  坂田醗酵食品株式会社 北海道小樽市銭函3丁目319-1
                  (TEL) 0134-61-2131 (FAX) 0134-62-1171


さくら漬 [総菜]

皆さんは、「さくら漬」をご存知だろうか。「よくコンビニ弁当などに入っているうすいピンク色をした短冊形の漬物」と言えばわかると思う。この「さくら漬」、いったいどういう漬物なのか、詳しいことを知っておられる方は、ほとんどいないと思う。あるいは、「大根の漬物」と勘違いされている方も多いのではないだろうか。「さくら漬」は、本来は日野菜という蕪の一種を塩で漬け、酢や味醂で味付けしたものである。材料の日野菜は、私の出身地である滋賀県蒲生郡日野町が原産で、写真(上)のように、ひょろっと細長い形状をしている。初冬の、初霜が降りた後ぐらいに収穫され、その他の時期に作ることは大変難しい品種である。この日野菜を、短冊形に刻み、塩で1週間ほど押す。水が上がってきたら、桶から取り出して、酢、味醂で味を調えるのである。人によっては、あく抜きをする場合もあるようだが、あくが日野菜の風味でもあるので、我が家では一切あく抜きをせず、やや酢を多めに入れる。着色料は一切入れないが、鮮やかな色が出るのが特徴である。これがあると、いくらでもご飯を食べられる。市販品になかなかよいものがないので、私は、冬になると田舎から日野菜を取り寄せて、自分で漬けているのである。



青函連絡船「紅鮭弁当」 [弁当]

2007年1月22日、かの有名な新宿京王百貨店の駅弁大会に出かけた。中央大学在学中、鉄道研究会に所属していた私としては、駅弁と聞くだけで、口中に涎が充満するわけだが、新宿京王百貨店の駅弁大会は、さすがに日本一の規模・伝統を誇るだけあって、毎回必ず超満員で、人気駅弁には長蛇の列。行列がことのほか嫌いな私としては、気になりつつも、決して足を向けることのないイベントであった。しかし、今回だけは何としても行こうと心に決めていた。と言うのも、今回は、あの青函連絡「紅鮭弁当」の復刻版が販売されると聞いていたからだ。もう20年ほども前、中央大学鉄道研究会の冬期合宿で、2月下旬の酷寒の北海道へ渡り、氷点下15度のピリピリする空気と、一面の銀世界の真ん中に黒々と伸びる2条の鉄路に完全に魅せられてしまった私は、学割+冬期割引の北海道ワイド周遊券や青春18きっぷを最大限活用して、東京と北海道とを何度も往復した。学生の貧乏旅行のこと、長時間列車に揺られて青函連絡船桟橋に着き、乗船して真っ先に、いかにも安っぽい「紅鮭弁当」を確保し、2等船室の2人掛けシートでごろ寝。1時間ほどして目が覚めると、おもむろに「紅鮭弁当」の蓋を取ったものだ。ほどなくして、青函トンネルが開通し、青函航路が廃止されて、「紅鮭弁当」ともお別れとなってしまった。あれから20年、再び、「紅鮭弁当」と対面したわけである。最末期には、まるでコンビニ弁当のようなプラスチックの容器であったが、今回は、それより少し昔の姿を再現したもののようであった。しかし、白いご飯に、薄い塩鮭とわずかなおかずが乗っているだけの、素朴な弁当は、しかし、変わらず、美味しかった。なんだか、涙が出そうになった。


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